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社会・政治 その24「文系、理系… 改めて考えてみると…」


本 普段、特に考える事も無く、極々自然に受け入れていて、改めて考えてみると、ちょっと引っ掛かる、なんてこと、ありますよね。受験シーズン真っ盛りの時、自分の昔を思い出して懐かしく思いもしますが、そこにある「文系(文科系)」「理系(理科系)」って区分、よくよく考えてみると、「何のため…?」って思い始めます。全く意味が無いとか、変とか、積極的に否定する対象ではないのですが、「そもそも何の必要があって二つに分けてるのか?」という疑問は湧いてきます。調べてみると、この「文系」「理系」という区分はアジア、特に日本、韓国、中国に根付いているようで、欧米では「自然科学:Natural science」「人文科学:Human science」「社会科学:Social science」を大区分として、文系・理系という区分はなくて、専門性はあるものの、自分が興味のある専攻は自由に授業を受けているようです。まあ、日本でも建築学科の人が哲学の授業を受けてもいい訳なので、そこは別に特に違いがある訳でもないと思うのですけど…。

日本、韓国、中国では専門性の大枠が「学問」という区分で、欧米では「科学」という区分なのでしょうか。もともと学問や科学の分類は、古代ギリシャの「万学の祖」、アリストテレスにその源流があると思います。「論理学」「自然学」「形而上学」「倫理学」「政治学」「文学」等々、書いているとキリが無い位、多岐に渡る学問のジャンルを成立させています。しかし、その中心にあるのは「考える」という事であり、その意味では「学問」だろうが「科学」だろうが、向き合う姿勢は同じものであり、対象もまさにクロスオーバーしていくものだと思います。文系・理系はあくまでも「便宜上」の区分であると思いますが、とはいえ、社会的なキャラクターにまでに及ぶものになっているような…。
    
で、日本は文系が復権し始めているらしいですけど、韓国や中国では「理系」志望が圧倒的に多いとか。その理由は「就職に有利」という事です。それを考えると、本来はただの学問的な区分に過ぎないものが、やはり社会的な区分にまで及んでいるという事実を否定できません。つまり、本末転倒という事です。学問が就職のためというのはおかしなことであり、あるべき姿は「自分が興味のある事を学ぶ」という至極シンプルな事の筈で、「就職に有利だから理系に進みなさい」というのは、「農業の方が儲かるから、漁業なんてやめなさい」と言っているようなものです。文系・理系がそんな区分になっているのなら、これは「全く意味が無い」事と言わざるをえません。日本で文系・理系に分かれたのはいつごろで、それはなぜなのでしょう?

ある社会学者の説では、日本で文系・理系の区分が生まれたのは明治時代らしく、設備などにお金のかかる「理系」の学部に進む学生の数を制限するために、「数学」ができるかどうかで学生を振り分けた事が起源であるそうです。「文系」は黒板とノートと本だけで勉強できるからとか…。私、それが歴史的事実であったとしても、相当に違和感を感じます。なぜなら、もともと「数学」とは「哲学」のご先祖様なのです。哲学とは「考えるための、考える事の」学問です。古くは「数学」がこの世の真実を表すものとして発達し、今でも「この世の全ての事は数学で説明できる」なんて言葉が聞こえてきますが、ホンマかいな…。では「人それぞれに違う価値観」なるものを「数学」で説明してくれ。できる訳がない。では「神」とは? 「霊」とは? 「心」とは? まさか、それらはある筈の無いものなので数学の対象とはならない、なんていう訳ではないでしょうね。もしそうならそれは、ただの「唯物論」、物質しかない寒々とした世界を語る事になります。
    
先にも述べたように、学問と云おうが科学と云おうが、それらは相互に影響し合い、クロスオーバーするものであって、それぞれがパーテション(仕切)で囲われているものではない筈です。例えば「医は仁術」といいますが、であれば、人間に対しての深い洞察力を得るための広い学問、生命を哲学することが必要な訳で、現実には「医は国家試験に通る事」でしょ。ちょっと、話がアッチコッチに行き始めたので、元に戻しますが、エンジニアというのが理系という考えがあるとしたら、間違いです。ITの世界で活躍するシステム・エンジニアの多くは文科系です。まさに「考える」事を職業とする企画職「プランナー」の多くは文科系です。というより、そこには文系も理系もありません。自分の持っている知識がどちら寄り位はあるかもしれませんが。

私事で恐縮ですけど、私はいわゆる文系です。しかし、仕事柄、色々調べて企画を立てていく中で「雑学脳」が育ったのか、私の事を理系だと思っている人はけっこういます。つまり、同じなのですよ。問題は、便宜的な区分を超えない文系・理系を受験の区分として、たかが人生の入り口に過ぎない18歳前後の者にそれを選択させ、それが一生ついて回り、社会的なキャラクターまで決めてしまうというのがおかしいのです。私の知り合いに、理系を目指しながら「源氏物語」にハマって受験に失敗した者がいます。むしろそれで良かったのではないかと言えば、無責任ですかね。
     
某Wikipediaに「文系とは、主に人間の活動を研究の対象とする学問の系統とされており、理系とは、主に自然界を研究の対象とする学問の系統とされている」といった記述がありましたが、これって「同じ事」を言っているだけじゃないですか。人間の活動と自然界が対象としてどう違うのですか。極論を言えば、「人間という観察者がいなければ、自然界という対象も無い」という事ですよ。うーん、文系・理系をこれまでは便宜的な区分としてテキトーに考えてきましたが、どうもあまり意味のない区分であると思えてきました。まあ、それを選択する本人の問題と云えばそれはそうなのですけど、「法学的思考」と「数学的思考」、「論理学的思考」と「工学的思考」にそれほど差はありませんよ。だから、ほっておいてもいい問題なのかも…。

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