社会・政治 その25「日本は好戦的な国か? 否! 時代が生んだ軍国」

■いずれその道を歩む防衛大学校の学生が何故、「有志」として整然と靖国神社を訪れるのでしょうか? その必要はどこにあるのか? 「有志」というのは、どのような志を共有した者たちなのか? そんな疑問が湧き上がってきます。防衛大学校は英語表記で "National Defense Academy of Japan"。で、自衛隊の公式な英名は "Japan Self-Defense Forces"。両方とも "Defense" という言葉が入っていますが、自衛隊は世界的に日本の「国軍」として認識されていて、「Japan Army(日本陸軍)」「Japan Navy(日本海軍)」「Japan Air Force(日本空軍)」と表記されるようです。ですから、軍事組織としては戦前と殆ど変っていないのです(某首相が思わず「わが軍」と言っちゃいましたね)。それ自体は問題ではないと考えます。ただ、「靖国神社」までがいまだ、そこにくっついている事に少々違和感を感じるのです。
■ここで「靖国神社」の歴史を滔々と述べようとは思いませんが、元は明治維新の志士を祀る「東京招魂社(とうきょうしょうこんしゃ)」という名称であり、後に「靖国神社」と改称され、お国のために命を奉げた「英霊」たちを祀る(ちなみに西郷隆盛はここに祀られていません)、国家の施設となり、戦後、単立の宗教法人となったという大雑把な経緯があります。つまり、単立ですから、神社としてのネットワークとは関係なく、また当然ながら国とも既に関係がありません。「普通の神社」です。しかし、その普通の存在がなぜお向かいの国からナーバスな目で見られるのか。単純に考えれば「軍事国家日本」の象徴と映るのでしょう。もうそのような存在ではない、といっても、あの「防衛大学校学生たちの参拝」を見ると、説得力が無いですね。彼らはいずれ「日本軍」の将校になる方たちですから。日本が軍事的には戦前と同じ「国体」を維持していると見えても、仕方がないでしょう。実際は違う事、日本人であれば分かりますが、それを主張したところで相手は納得しないでしょう。それは理解できます。私個人の本音は「明らかな内政干渉、ほっとけ、大きなお世話」なのですが、彼の国にとっては「再び日本が軍事大国化する」という懸念は拭えないのが当然でしょう。
■では何故、靖国神社が必要だったのか? それは、あるお歳を召した某方が言われた「自分を祀ってくれると約束した靖国神社がなければ、どうして兵は命をかけて戦場で国のために闘えるのか」という言葉に凝縮されているでしょう。ただし、それは兵を戦場に駆り出す国側の理屈ですが。で、何故、今も、靖国神社が必要なのでしょうか? 戦没者の慰霊という事だけなら、必ずしも靖国神社でなくともいい筈です。一つの理由として、「必要」という事ではなく、単立宗教法人ですから、日本自体でさえも手出しはできないという事です。靖国神社が(法律に触れない限り)何をしようと自由な訳です。で、政治家が参拝するのは、日本が戦争をしたという事の「正当化の象徴」ではないかと思えるのです。防衛大学校の学生「有志」が参拝するのも、それと同じでは。
■本題に入ります。日本がかつて軍事国家、しかも軍事的に大国であったのは事実です。ここで考えてみたいのは、それが「アジアで唯一」の、という事です。どうして、アジアの小国が、欧米を警戒させるほどの軍事大国になり得たのか? そのルーツはやはり明治維新でしょう。周辺のアジアの国々が欧米列強に、蚕が葉を喰うように侵食されていく中で、猛烈な危機感を国まるごとで覚え、司馬遼太郎の「坂の上の雲」の如く、ひたすら近代化への坂道を脇目も振らず駆け上がって行ったからでしょう。アジアの他の国は、自国の文化に自信があったのか「西洋化」への道へは向かわなかったのに、日本のみが「自家中毒も顧みず(自国の文化を犠牲にする)」一気に西洋化に走った。その結果、小さいけれど、やたら喧嘩だけは強い小僧のような国が出来上がり、欧米もアジアを好き勝手にシャブリ尽くす事ができなくなった。で、何ともこのアジアの小僧が邪魔になる。無理難題を吹っかけて、因縁を付けてくる(国益とやらのための外交ですからねえ、あの手この手ですよ)。
■するとその小僧は、周りのアジア諸国に頼れる国が無いものだから、自らがアジアの盟主となり、欧米列強と対抗しようと無謀にも「身体をデカくしよう」として、欧米列強よりも激しくアジアを喰らい始めます。そして、ハルノートを突き付けられ、ついに「キれ」ます。その過程で、日本が「好戦的」だったとは全く考えられません。全ては相手のアクションに対するリアクションです。アジアの喧嘩が強い小僧が、怪物に変わるのに何の不思議もありません。もしあの時に、日本・朝鮮・中国でアジア同盟ができていたら、覇権争いは起きたでしょうけど、日本だけが怪物に変わる事は無かったのでは…。最期は人類が初めて経験する「核攻撃」まで受けて、国が丸焼けになって、怪物はようやく正気に返ります。
■あの時代、侵略戦争だったと言われようが、アジアの鬼と言われようが、それ以外に進むことのできる道が日本にあったのでしょうか。東京裁判で理不尽に裁かれようとも、戦争責任を半世紀以上もしつこく突きつけられようとも、日本にだって「言い分」はあるのです。「俺たちは日本とアジアのために戦った!」「アジアのどこの国も欧米列強と戦っていないじゃないか!」とか…。しかし、全く認められない。「正当化」と前述しましたが、正しくは「あの戦争での言い分」でしょう。その象徴が靖国神社であると考えます。いや、感じます。「俺たちは私欲のために戦ったんじゃない! 本当に日本とアジアのために…!」。どれほどボロクソにやられようが、一分も譲れない「言い分」は誰にでも(どんな国家にでも)必ずあるのです。それがある限り、靖国神社は無くなりません。
■そこは命をかけて戦った一般の日本人たちの犠牲を「朽ち果てさせないための結界」「断じて意味の無いものにしないためのモニュメント」なのです(と、思います)。日本が対外的に好戦的だったのは太平洋戦争末期のホンの一瞬です。海軍が「見敵必戦」なんて、世界の海軍史でも稀な馬鹿げた事(普通は相手が強ければ逃げて戦力を温存する。機械戦ですから)を言いだした時からの僅かな期間だけです。日本が正気を失った…。政治家の皆さん、「靖国参拝」なんてパフォーマンスはもういいですから、その日本の蚊が鳴くような「言い分」の声を世界に伝えてください。何としてでも。そして、靖国神社が必要のない国にしてください。
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★歴史・地理 その31「何故日本はドイツや朝鮮のように分割されなかったのか?」
★文学・評論 その11「戦争が廊下の奥に立ってゐた 渡邊白泉」
★人文・思想 その17「仏に逢うてはこれを斬り… 禅の破壊力」
★文学・評論 その39「森鴎外 『寒山拾得』 文学に解釈で臨むと…」
★社会・政治 その18「パーキンソンの法則 組織は膨張しきって終わる」
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