テキトー雑学堂 タイトルバナー

社会・政治 その3「社会学さーん 出番ですよ!」


本 大学に入った時「社会学」なる言葉を聞いて、ピンとはきませんでした。イメージとして、それまで学校でやっていた社会の教科と同じように思っていたのです。しかし、違う大学のある先輩が社会学を専攻しているという事で興味本位で色々と聞いてみたら、その対象領域の広さに戸惑ってしまった記憶があります。で、その先輩にくっついてその大学の講義に潜り込んだ事があります。要するに天ぷら学生ですね。もう時効でしょう(なんで?)。その学部はその大学の看板学部で、早々たる教授陣が揃っていると聞きましたが、正直、何も分かりませんでした。講義で、何を聴いたのかサッパリ記憶に残っていません。これが、私の最初の「社会学」なるものとの出会いです。

社会学(Sociology)とはその名の通り、「社会」を対象とした学問分野で、政治学や経済学のように固有の研究分野を持っている訳ですがその対象はまさに人間社会の森羅万象を把握するに等しい広大さ、ベラボーな対象領域を持っています。正直、どこからアプローチして良いのやら…、といった所です。しかし、なにやら惹きつけられるものがあり、「人文・思想その1」の編で書いた「人類学」に似た魅力を感じざるを得ませんでした。人類学と同様、他の学問領域を「横断する」社会学のパワーには圧倒されます。ザッと述べただけでも、「教育」「家族」「犯罪」「宗教」「産業」「法律」「心理」「言語」「病理」「福祉」等々…。もう、世界一周の旅のような学問です。この「社会学」の創始者はあの実証哲学のオーギュスト・コント、近代思想の知の巨人です。
   
私、興味はありながら、なかなかその世界に入る事ができませんでした。ある「知の体系」の領域が広大無辺な場合は、まずマクロ(概論)から入るのが良いのでしょうが、この社会学は無理でした(私は…)。例えてみれば、猫がデッカイ魚を貰ったのはいいのですが、どこから喰いついていいのか分からず、魚の周りをウロウロしているようなものです。ミクロなアプローチもできない。で、なかなかに寄りつけず、そのままでしたが、卒業して、色々と資料を漁らなければならない仕事についてしまい、その中で出会った興味深い資料、「ピーターの法則」を読んだ時、「おお、これか!」と思った記憶があります(ピーターの法則については同じ「社会・政治その1」に書いてあります)。かなり前の事ですけど。学生の頃、例えば、エーリッヒ・フロムの名著「自由からの逃走」を読んではいても、これを「社会学」的には捉えられず、「心理学」の領域として捉えていました。つまりその「社会心理学」的なアプローチを図っていた事を見逃していた(認識していなかった)訳です。ちなみにフロムは「ファシズムの起源」「社会でファシズムが発生するメカニズム」を最初に明確にした、フロイトの系譜につながる精神分析学者です。「ピーターの法則」は「社会学」の具体的な成果という事がすぐに理解できました。分かりやすい「組織」が対象でしたから。
  
まさに「社会学」とは人間学。人間は「社会的動物」ですから。ここから面白くなってきました。ちなみに、唐突ですが、私が本サイトのトップページで(えらそうで、恐縮ですが…)述べさせていただいている「雑学」とは、「トリビアの泉」のような知識の楽しみ方ではなく、誤解を恐れずに言うなら「傍若無人御免の、横断パワー全開ゴッタ煮的な知識(妄想)の楽しみ方」です。全てを精緻に理解するのは「本職」に任せて、美味しい所だけを楽しませていただくのです。「ピーターの法則」にあるように「組織は腐る」「人は努力して無能になる」など、人間の集団が繰り返し起こしてしまう誤謬のメカニズムを「小説」のように楽しめます(不遜、御容赦)。

特にアメリカですが、膨大なデータから大きな傾向を取り出すのは彼の国の方が遥かに進んでいるようで、例えば「親の職業とその子供の犯罪発生率との相関」や「若くして大金を得た者の多くが破産に追い込まれるのは何故か」といったような、まさに身近な社会の問題を知らせてくれるのが広義の社会学です。日本はアメリカに比べ、統計よりも「経験則」を重視するように思えます。ここに来てやっと、最近のITテクノロジーのおかげで揃ったビッグデータにより、改めて統計学の重要さが訴えられ始めているようですが。
  
社会を知るという、もしくは知ろうとする事は「=人」を知ろうとすることですが、これまた誤解を恐れずに言えば、日本は欧米に比べてこの「社会学」なるものがかなり立ち遅れていると思います。では、欧米に比べて日本は「社会」も「人」も分かっていないのか、と言い返されそうですが、そんな事は無く、ただ、欧米と事情が違うためその在り方が最初から異なっていたと考えるだけです。あくまでも仮説ですが(これが楽しい、失礼…)、つまり、日本は欧米に比べれば社会の「安定度」が比較的高く、村や会社といった「ミクロに捉えられる社会」が非流動的に人を互いにまとめてきた、とすれば、「社会学」なるものを殊更に必要としなかったという歴史的背景、経緯があると云う事です。オーギュスト・コントが社会学を成立させた時代背景にはフランス革命後の混乱があります。革命政府、ナポレオンの登場、そしてその後の王政復古。

その中でコントは「社会」を実証主義的な科学的研究の対象としなければならないとした訳です。片やアメリカには独立戦争、多民族国家、人種差別といった背景があります。話が固くなると面白くないので、簡単に言えば「社会」に対する猛烈な問題意識が湧きあがらざるを得なかった。日本の場合はそういった機会が無かったのだとシンプルに考えます。明治維新は海外から見れば無血革命、戦後の民主主義は「敗戦国の優等生」でしたから、「社会」の構造、メカニズムに対する問題意識がそれほど育たなかった、と。同時に、人に対しても世界に比類のない均質性を持っているがゆえにこれまた問題意識がそれほど育たなかった、そのように考えます。
    
しかしながら、今や日本の事情も異なり、グローバリズム(私はネガティブに見てしまいますが…)だの、伝統的なコミュニティの喪失などが、ドラスティックでは無いにしても静かに変わりつつあります。昨今「統計学を…」という言葉がよく目につくのも、「社会・人」全体が掴みにくくなってきたからでしょう。であればここで改めて「社会学」です(単純…)。マクロに行かずともミクロ的なアプローチで、人間関係、地域社会、会社、仕事の在り方等々、考えてみる事がますます必要となり、考えざるを得なくなると思います。

アカデミックに構えなくとも「ハウツー本」辺りでも考える事を堪能できます。私は今の世情こそ、社会学なるものが持っている「横断的」な知識、考えが実践的に使える時であると考えます。要するに「社会学さーん、出番ですよ!」ってな事です。

社会・政治 目次へ



【商品検索】Powered by Amazon

↑「すべて表示」をクリックするとAmazon.co.jpの検索結果一覧に移動します。

■これからギターを始められる方のご参考にでもなれば。
木の音 バナー
「あれこれブログ風」サイト
「不思議」「怖い」「変」を普通に考える。 バナー
「花を楽しむ」サイト
花を飾る バナー


■サイトポリシー ■プロフィール
■お問い合わせ
ページトップへ戻る

Design by Megapx / Template by s-hoshino.com
Copyright(C) Ureagnak All Rights Reserved.