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社会・政治 その39「石橋湛山 渾身の政治家 大日本? 小日本?」


本 今の時代、そもそも政治家(屋?)なる方々に「信念」「志」「理念」といった強い想いを持っている人がいるのだろうかと単純に思ってしまいます。まあ、テレビや新聞などのメディアで間接的に見聞きする言葉しか知りませんから、本当にその人となりは分かりません。しかし、どうにもその想いのようなものが伝わってくる政治家(屋?)の姿を見ることができません。マスコミの報道にも責任はあるように思いますけど、いずれにしても、何を考えているのか、何をしたいのかよく分からないのは事実です。「信念」を持った立派な方もいるとは思うのですけど…。

で、どうしても古典的な「劇場」じみた「過去の話」の中に「立志伝の人物」を見つけては、「昔はこれだけの人物がいたのか(特に幕末から明治など)」と予定調和的に思わざるを得ないのですけど、やはり、人の評価は「歴史」に委ねるしかないのでしょうか。リアルタイムでその「信念」に共感できるほどの政治家に巡り合うというのは難しいのですかね。と、そんなオヤジの愚痴みたいなことを言ってはいますが、人物もさることながら、その慧眼ともいうべき「国のあるべき姿」を、渾身の論でもって訴えた政治家の姿が比較的近い時代に在ったことを知り、まさにこれこそが「渾身の政治」ではないかと瞠目してしまう政治家が少ないながらもいたことに気付かされ、改めてその論に驚かされることがあります。その一人が石橋湛山(たんざん:1884年~1973年)。明治から昭和まで(明治17年~昭和48年)を生きた政治家です。

石橋湛山は元は軍人であり、教育者としての側面もありますが、政治家として総理大臣まで勤めています。ただこの石橋湛山はどちらかというと少々不名誉な記録を持って語られています。それは内閣総理大臣在任期間が65日で、日本国憲法下では2番目に短い就任期間であったという事です。ですが、その理由は遊説から帰京した際に軽い脳梗塞を起こし、総理として臨時代理を立てざるを得ない事を潔しとせず退陣したということで、アクシデントであったとしか言えません。ただし、その裏には、親中派の石橋湛山をアメリカが嫌っていたという動きもあったようです。まあ、そんな陰謀説のようなものはどこにでもありますので置いといて、石橋湛山は当時のGHQに対して一歩も引かぬ交渉姿勢から「心臓大臣」とも呼ばれ、そこから彼の政治的手腕を推し量ることができると思います。が、その辺りの具体的なことは本記事で書きたいことではありませんので割愛します。

「小日本主義」「大日本主義」なる言葉をご存知でしょうか。私は、比較的最近まで知りませんでした。この「小日本主義」、言葉の語感から言って「日本自らを卑下したものか」と感じてしまうのですがそれは全くの勘違いでした(余談。「小日本」は中国語発音で「シャオリーベン」であり、日本及び日本人への蔑称ですが、当然ながらこの「小日本主義」なるものはそれとは全く関係ありません)。この「小日本主義」とは、戦前の日本で石橋湛山らが中心となって訴えた外交思想です。その反対は当時の国策の主流であった「大日本主義」です。当時の日本は大日本帝国であり、まさに大日本主義で、これは特に日本だけではなく、世界の主要国は殆ど同じような「帝国主義」であり、その支配領域を海外にまで広げ、国土の増大や経済などの繁栄を図っていた時代です。

世界中が「大国主義」である中で、それに反する「小日本主義」を唱えるのは相当に肝の据わった者にしか成し得ないでしょう。「小日本主義」は「満韓放棄論」とも呼ばれたそうです。つまり、軍事力によって得た満州や韓国の利権を放棄し、簡単に言えば「軍事費用」を抑え、「通商国家」として栄えようという政治思想です。これ、「憲法」により軍事を抑え、加工貿易によって「通商国家」として経済的に大国とまで呼ばれるようになった戦後の日本ではないですか。それを、「帝国主義」全盛の「大日本(主義)帝国」の中で石橋湛山は訴えていたのです。歴史は今の私たちにその両者の姿を明確に見せてくれています。「大日本主義」はひと時の軍事的繁栄を見せて日本をアジアの大国にしましたが、結果は国を滅亡寸前まで追いやり、その逆の「小日本主義」は滅亡寸前の日本を立て直し、今日の繁栄へとつながっています。歴史上の事を単純に二分法で「こちらが正しい」「いやこちらが正しい」などとするのはあまりに安易であること、百も承知ですが、この「小日本主義」、言葉を変えれば「貿易立国日本」の姿を描いたものではないでしょうか。

そうした事を考える時、以前このサイトの「人文・思想 その20」で書いた石原莞爾の事が彷彿としてきます。帝国陸軍参謀の彼は「対アメリカ開戦」に、帝国海軍の山本五十六同様反対であったらしく(帝国海軍全体が対アメリカ開戦に反対)、また「満州を日本に併合するのではなく、日本の同盟国として独立させる」事を考えていたようです。さらには、太平洋戦争を回避するために、あの有名な「ハル・ノート」の内容をすべて受け入れるような策を考えていたようです。要するに「大陸から撤退して、既存の通商の枠(欧米との貿易)の中で、経済優先で国を経営していく」という考えでは。であれば、これはまさに「小日本主義」です。石原莞爾は軍人であり、参謀ですが、その究極の目的に「国家の安寧」があるとすれば、単なる軍事を超えた考えを持っていたのではないでしょうか。彼は「世界最終戦論」のほうで有名ですけど。

この「小日本主義」ですが、実はお手本があります。19世紀のイギリスにも「小イギリス主義」というものがあったそうです。世界のほぼ四分の一を支配する大植民地帝国であったイギリスは、実態として各植民地の経営で行政コスト等が超過し、赤字経営であったようです。その解決策として植民地支配から撤退してコストの軽減を図る「小イギリス主義」が提唱されていたようです。しかし、その名は「大英帝国」。今日でも、直接「大」まで名乗らなくとも、帝国的な覇権国家は存在しますが、それらは皆「大国家主義」といえるのではないでしょうか。世界での覇権(もしくは地域での)を握るために膨大なコストを払い、自国の経営に相当な負担を抱えている大国はあちこちにあります。内情は推して知るべしでしょうね。そもそも自分の国に「大」を付けたり、「偉大」と称したり、「中華」なんてのも概念は一緒でしょう。「人民」なんて名前を殊更に付けているのも怪しい…。

政治家としてどう歴史が評価しようと、日本の石橋湛山は、「国のあるべき姿」を渾身の論として訴え続けた政治家でしょう。今、そのような政治家の姿はあるのでしょうか。その姿はやはり後世の歴史が発掘して見せてくれるしかないのでしょうか。「小日本主義」という呼称は「非戦平和経済優先主義」でよいではないですか。この日本が戦後に長く長く貫いてきた形ですよ。これからも…。

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