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社会・政治 その41「個としての正気を保つ力 孤立を恐れぬ勇気」


本 新聞のコラムで「大勢順応」という言葉を目にしました。その時は、言葉通りの意味位にしかイメージしませんでしたが、そのコラムをあとで改めて読んでみると、なかなかに面白い実験がその背景にあるようです。その実験を簡単に説明すれば、数人(10人程度)の学生を集め、それぞれに2枚のカードを見せるそうです。その一枚には直線が一本描かれています。そして、もう一枚には長さの異なる三本の線が描かれています。で、その三本の線のうち一本が一枚目のカードに描かれた直線と同じ長さです。その二枚目のカードに描かれている三本の線は長短がハッキリしていて、見間違えることはまずないようです。で、その学生たちの殆どが「サクラ(事前に意を含められている)」で、本当の被験者が一人しかいない場合…。

さて、どうなるかと言えば、「一枚目のカードの線と二枚目の三本の線の中で同じ長さのものはどれ?」と質問すると、「サクラ」たちは事前に指示されている間違った答えを口にし、一人だけ事前に何も言われていない被験者が、なんと、多数派に引き摺られるように答えを間違う率が36.8%にもなったそうです。答えを間違っても特に罰則がないにもかかわらず、平常の状態で「間違った大勢の答え」に倣ってしまったということです。これは、社会の多数派の意見がどれほど個人(もしくは少数派)の判断に影響するのかを検証するために、1950年代にアメリカで行われた有名な実験だそうです(私、知りませんでした…)。なぜ、多数派に同調したかはそれぞれに理由があるようです。「自分が間違っていると思った」「全体を乱してはいけないと感じた」「自分がおかしいと思い、それを隠そうとした」等々…。

その当時は今ほど社会のコミュニケーション能力は高くなかったでしょう。インターネットなどというものは無く、古典的な通信である「電話」「郵便」「電報」「新聞」「ラジオ」などでしょうが、それにしてもその当時としては相当に「コミュニケーション能力が発達した社会」と認識されていたと思って間違いないでしょう。その中で、人々の考えが「操作」され、誘導される可能性を検証することは、社会にとって必要な実験であったようです。

36.8%という実験結果は決して低い数字ではなく、あまりの高さに驚いてしまいます。これを日本で実施していたら、あくまでも "if" ですけど、アメリカよりは「個の主張」が強くない(と思われる)日本人だともっと数字は高くなるのではないでしょうか。ちなみにこの「大勢順応」という言葉を目にした時、「同調圧力」という言葉が反射的に浮かんできましたけど、これは違うものです。「同調圧力」はその名の通り「圧力」、地域や集団の中で意思決定を行う際、多数派が少数派になんらかの「強制」を図って同調させることです。これは「いじめ」にもつながる、陰湿なものであるイメージがあります。少数派に対して「変な奴」「付き合えないやつ」「分かってないやつ」「空気が読めないやつ」などと無言の圧力がかかり、少数派は「孤立」することを恐れて自分の考えを「周りに合わせる」しかなくなってくるのです。職場や学校、ご近所でけっこう頻繁に起こっている事ではないかと思います。

で、先の「大勢順応」に戻りますけど、今の時代はその実験が行われた時代より、比べ物にならないほど「社会のコミュニケーション能力」が高くなっています。テレビ・ラジオ・新聞などは既に古典的な領域にあるように思えるほど、今の社会はインターネットでつながれたデバイス無しでは成立し得ないくらいに、そのネットワークの上に成り立っています。余談ですが(個人的な感想)、嘗ての「パソコン通信(古…)」や、まだモデム(古…)でインターネットを行っていたころの時代は、その世界の中にマニアックでダークな部分はありましたけど、まだ一部の、それなりのPCスキル&リタラシーを持った者たちの世界で、それなりに「健全」であったように思います。ウィルスはありましたけど今ほど強力・悪質ではなく、少なくとも「炎上」「フェイクニュース」などといったこととは無縁で、優れて「趣味的な世界」であったと思います。

まあ、そのような懐古的な思いは置いといて、現実にインターネットの世界の中で蠢く「ネット民」「ネトウヨ」「パヨク」等々の、政治的にも社会的にもとんでもなく複雑化して「なにがなにやら…」といった世界に「変容(Transformation)」、つまり、社会のコミュニケーション能力は「質的な大変化」を起こしています。これは間違いなく「不可逆的」であり、あえて短絡的に言えば、方向性のない「混沌」「カオス」に向かって変化していくのではないかと思います。ますます「訳が分からない…」「何が本当で、何が嘘か…」、とどのつまりはますます「大勢順応」が容易に起こりやすい状況になっていくのではないかという強い危惧を感じてしまうのです。先の実験で「自分が間違っていると思った」「全体を乱してはいけないと感じた」「自分がおかしいと思い、それを隠そうとした」と思い、「大勢順応」という反応を起こした人たちは、結局のところ「皆の意見(大勢)に溶け込んだ時の心地よさ、安心感(順応)」を感じてはいまいかと穿ってしまいます。

しかし、さきの「大勢順応」の実験で、一貫して正しく答え続けた人たちもいました。その人たちは心理的な圧力は感じたようですが、それをはね返して自分が正しいと思った答えを選択したのです。今の時代でもそうした「大勢順応」に流されない方々は必ずいます。その力の源泉は「自問し続ける力」、月並みな表現ですが「孤立を恐れぬ勇気」だと思います。一方に偏り始めた流れの中で踏ん張り、考え続けることはそう簡単にできることではないでしょう。しかし、ほんの数分でもいいから、自問することで、「考えることもなく」大勢の流れに巻き込まれることを防げるのでは。そう思います。

オヤジ的説教臭さが隠せない文章になりました…。でも、そう思うのです。

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