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社会・政治 その42「芥川龍之介 『唯ぼんやりとした不安』 それは…」


本 これはチャーチルの言葉だと記憶していますけど、確か「民主主義が完璧な政治をもたらすとは思わない。しかし、今現在、それ以上のものが無い」といったようなものであったと思います。いきなり、タイトルにそぐわない書き出しになりますが、ここで芥川龍之介の文学について書こうと思っている訳ではありません。彼が時代の中で感じたもの、その「不安」なるものが、どうにもチャーチルの言葉と(あくまで個人的に)重なって感じられるので、そのことについて書きたいという衝動に駆られるのです。何で芥川龍之介とチャーチルが関係あるんだ、時代も立ち位置も違うじゃないか、と訝しがられる方も多いと思いますけど、芥川の覚えた「不安」の本質が、この「民主主義」にあるのではないかと、私には感じられるのです。この辺りで、離脱される方もいらっしゃるかもしれませんけど、行きます。

芥川龍之介のプロフィールを簡単に記せば、1892年(明治25年)~ 1927年(昭和2年)を生きた小説家で、35歳で服毒自殺しています。その作品には短編が多く、「芋粥」「藪の中」「地獄変」や、「今昔物語」など古典をモチーフとしたものもあり、「杜子春」「蜘蛛の糸」なども有名です。夏目漱石の門下であったようです。ちなみに、芥川は「羅生門」という作品を発表していますが、黒澤明監督で有名な「羅生門」は「藪の中」を原作として脚色されています。当時、夏目漱石にも認められ、数々の名作を書き残した芥川龍之介は、何故、35歳という若さで自殺しなければならなかったのか? もちろん、体がそれほど強くなく、精神面を病んでいたのではないかという事も考えられますけど、彼が残した遺書である「或旧友へ送る手記」を読むと、これが精神を病んだ者が書き綴れる文章かと相当な驚きを覚えさせられます。興味のある方は是非ご一読を。WEBで検索できます。

芥川龍之介自身によると、自殺する原因は「唯ぼんやりとした不安」にあると、その遺書に書かれています。文章自体は堂々たるもので、自殺の方法を模索し、自殺自体が正当なものであると仏教を持ち出して主張し、「今は唯死と遊んでゐる」と述べています。「人間獣(にんげんじゅう?)」という言葉を記し、生活力とは動物力であると断じています(ここでいう「生活力」とは「生きる」ということでしょう)。そしてその「動物力」を「食色にも飽いて」失い、やがて「氷のやうに透み渡つた、病的な神経の世界」に住んでいると言い、「生きるために生きる」人間を哀しきものであるとしています。この辺りは芥川龍之介独特の表現ですから、感ずるところも読む人それぞれでしょう。

この遺書を「芥川龍之介の文学」として解釈しようとは考えません。そのような事はあまり意味が無いように思います。私はとにかくこの遺書の冒頭に出てくる「唯ぼんやりとした不安」の正体(?)に興味があるだけです。その正体なるものに近づくために、彼の生きた時代を考えてみたいと思います。芥川龍之介は明治から昭和までを生き、その間である大正という時代を成熟した大人として過ごしています。この大正という時期を一言でいえば、「大正デモクラシー」となるのでしょう。これは、東京帝国大学教授の「吉野作造:よしのさくぞう:1878年(明治11年)~1933年(昭和8年)」が唱えた「民本主義」に端を発し、Wikipediaの解説を借りれば「日本で1910年代から1920年代にかけて起こった、政治・社会・文化の各方面における民本主義の発展、自由主義的な運動、風潮、思潮の総称」のことです。これを単純に「民主主義の嚆矢」であるとはいいがたいのですが、芥川龍之介はその時代の空気を存分に吸って生きていたでしょう。

で、芥川龍之介は1927年(昭和2年)に亡くなる訳ですが、民主主義という世界的に先進的でモダンな思想の潮流の中でなぜ死を選んだのでしょうか。例えば、その中で近づいてくる「軍靴の響き」のようなものを予感して「不安」を覚えたというのが一番予定調和的な理解の仕方のように思いますけど、日本を破滅的な戦争へと向かわせるきっかけとなった「二・二六事件」は、1936年2月26日(昭和11年)であり、まだ芥川が自殺する9年も先の事です。鋭敏な作家の感受性はそこまでの時代の流れを感じていたのでしょうか? 否、であると思います。昭和2年という年には「金融恐慌」が発生して社会不安が巻き起こった年ですけど、都市部では「モボ(モダンボーイ)、モガ(モダンガール)」という、現代でも通じるようなモードが流行し、多少退廃的ではあったような気もしますが、芥川龍之介が死を選ぶような時代背景ではなかったと考えます。

ここで、前述のチャーチルの言葉が彼の「唯ぼんやりとした不安」と重なってくるのです。時代は大正デモクラシーの空気を引き摺っており、関東大震災後で、大恐慌とはいえ、芥川龍之介の「生活圏」でキナ臭い動きがあったとは思えないのです。「或旧友へ送る手記」の中にも、そうした世相が云々という事は全く見られません。しかしながら、彼の古典への造詣の深さ、作品群を見ても、極めて日本的なものをその内に多量に持っていたと思います。その彼にとって、「不安」を巻き起こすものがあったとすれば…。私はそれが「大正デモクラシー」という暴力的な時代の空気だったのではないかと思えてしまうのです。明治の近代化であろうと、大正デモクラシーであろうと、軍国主義の台頭、戦後民主主義、どれをとってもパラダイムという観点においては、それまでの時代の価値観に対する「暴力」的潮流であると考えます。

「民主主義」なるものは果たして「政治が至る最終形態」であり、普遍的な「平和」という価値観をもたらし、「自由」を享受させ、安定した世界を築き上げたでしょうか。今の時代、グローバリズムの反動からかナショナリズム、ポピュリズムが跋扈し、民主主義は「健全に機能してはいない」と認めざるを得ないでしょう。もちろん、では「独裁」か、「全体主義」か、というのも全く受け入れられるものではありませんが、下手をすればそちらに傾きかねない空気もあります。戦後民主主義はあたかも第二次大戦後の世界を支える普遍的な枠組みのように思える時代もあったのは間違いありませんけど、そこで必然的に生まれたポピュリズムはどれほどの歴史を歪め、文化を貶め、混乱をもたらしているか…。「ポスト民主主義」など、全く視界の中には浮かび上がらないままに。

芥川龍之介の「唯ぼんやりとした不安」とは、「日本の古典・伝統」が「民主主義」なる新しい価値観の中に埋没していく、もしくは棄損されることを危機感として覚えたのではないかと思えるのです。近代化の波は「暴力」的に様々なパラダイムを一気に書き換えていきます。彼が身を置く「文学」の世界もその潮流には逆らえなかったでしょう。芥川に「懐古趣味」的なものは無かったと思いますが、自分が築いてきた世界は「民主主義」が生み出すポピュリズムの中では生きていけない事を「唯ぼんやりとした不安」としてお覚えたのではないでしょうか。私は、そう思います。「民主主義」は時代の中で正義となることもありますが、とどのつまりは「行き詰った」状態で永らえていくものかもしれません。「民主主義」の「民」とは、一体、誰なのでしょうか? で、「主」となって何をするのでしょうか? では、お前は「民主主義」を否定するのか、と言われそうですが、とんでもない…。

だから、冒頭のチャーチルの言葉なんですよ。そこに、芥川龍之介の「或旧友へ送る手記」という、ある意味堂々とした思いが重なってしまうのです。「生きるために生きる」となってしまえば、どんな実もそこには結ばない、のだろうな、なんて感じてしまうのです。芥川龍之介の自殺は、日本的なものの自殺でしょうか…。

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