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社会・政治 その5「新鮮な専制政治と疲弊した民主政治 ですか…」


本 個人的なことですが、引っ越しをしたのを契機にケーブルテレビと契約して我が家も多チャンネル時代を迎え、好きな野球を存分に楽しめるのが一番嬉しかったのですが、夏休みに色々なチャンネルを見てみると、昔懐かしい映画や番組がメジロ押し。まあ、新しく番組を制作するよりも安上がりと言う事なのでしょうが、古い番組も改めて見ると意外と新鮮だったりします。そのひとつに「銀河英雄伝説」がありますが、以前に確か深夜放送のアニメでやっていたのを見た記憶があります。その時は、SF戦記もの程度の認識で、艦隊行動や戦略戦術展開がけっこうリアルだったので、そちら方面で興味を持って見ていましたけど、ストーリー全体に関しては正直、よくあるスペースオペラものと思っていました。

それが夏休みの時期にケーブルテレビの「一気見(いっきみ)」とかで、ズッと流しているのを、最初は懐かしさで見ていたのですが、続いているとついズッと見てしまい、見ているとその全体像が段々と分かってきます。これは戦記もののSF作品ではなく、言ってみれば「歴史もの」である事に気が付きました。我々の知っている「世界史」を未来の歴史、出来事に置き換えて展開されているストーリーだと。元はノベルズでかなりの長編。私は知らなかったのですが、略称は「銀英伝(ぎんえいでん)」で、かなりのマッチョなファンがいるようです。ズッと見ていると、なるほど、作者の歴史に対する造詣は深く、台詞使いは「箴言」レベル。
   
そのプロットには、まさに数千年の世界史の中で繰り返されてきた「命題」が背骨となっていることに気が付かされました。それがこのページのタイトルです。私自身は戦後民主主義の中にドップリと浸かって生きてきましたので、民主主義が政治体制の最終形態である、的な考えを「不磨の大典」の如く思っていました。ある年齢までは…。しかし、この命題は歴史の中で繰り返し繰り返し、硝煙臭さを伴って問われ続けてきたことです。私自身は、プラトンの「哲人政治」なるものを知った時に考え始めた事ですが。哲人政治とは、一言でいうと「哲学を学んだ私心なき名君に、独裁的に統治を行わせる」政治の事で、プラトンが理想とした体制ですが、最大の問題点は「哲人なるものが生まれない事」。ちなみに「専制政治」と「独裁政治」は違うものですが、小難しくなるので、ここではほぼ同じものとしておきます。ついでに「民主制」と「共和制」もほぼ同じようなものだとします。要は「新鮮で賢明なる君主による専制政治」がもし成立した場合、「疲弊して機能不全に陥った民主主義」を選択し続ける事が正しいのか、という命題でしょうね。これは相当に難度の高い問題です。いかんせん、未だにそれを廻って世界中でドンパチだらけですから。「銀英伝」ヤン提督の言葉を借りれば「困ったもんだよな。歴史の勉強のつもりでも、人間の歴史ってやつはドンパチだらけだ。戦争の勉強をやってるって言われても仕方がないかもしれないね」と言う事です。
   
確かに「新鮮で賢明なる君主による専制政治」には魅力があります。かつてはシーザー、ナポレオン、ヒトラーやスターリンもお向かいの国の〇さんも、中国の歴代の皇帝も、熱狂をもって迎えられたことでしょう。しかし、それが一代の英傑であろうと「世襲制」になろうとも、寿命があります。秦の始皇帝はその治世が永遠に続くように自らを始皇帝、その後を二世皇帝、三世皇帝、四世皇帝、五世皇帝~と続けるよう定めましたが、三代目(三世皇帝は名乗らなかったようです)で終わりました。今まで続いていたら何世皇帝だったのか…。どのように世界史を眺めても、政治の制度はまさに間にドンパチ(戦争)を挟んで、クルクルと変わっています。歴史の必然というものがあるとしたら、専制政治も、民主政治(共和制)も、その時々の民衆が歓迎して受け入れ、始まったものですから、どちらが正しいという判断はあまり意味が無いように思います。

いきなり結論めいた事を言うようですが、民衆が受け入れもしないのに、圧倒的な暴力(戦力)のみで成り立った国は無いでしょう(植民地は別です)。受け入れられないのに「王や皇帝、大統領」を名乗ったらたちまち内戦です。まさにヤン提督のいった「ドンパチが人間の歴史」なのでしょう。言いたいことを再確認します。つまり、どのような政治制度であろうとも、それを受け入れる(選ぶ、望む)のは大多数の民衆であり、その意味では専制政治も民主政治(共和制)もあまり違いはないと考えるのです。肝心なのは「リーダー」であり、その賢愚、優劣が政治体制の寿命を決定するだけという事です。
  
私個人は、(今では)民主政治なるものが政治体制の最終形態であるとは思っていません。が、どのような政治形態を支持するかといえば、やはり「民主政治」です。確かに「疲弊した民主政治」とは意思決定の力が弱く、決定するにも時間がかかり、議論ばかりに徒な時間が費やされます(日本は世界でも群を抜いているようです)が、間違いなく一つ良い所があるのは、決定も遅いがもし暴走が起きたとしてもそれも遅い、という事です。民主政治を「意思決定までに時間がかかる」「更には実行までに時間がかかる」「結果、ウヤムヤになる事が多い」という点で否定はできないのです。最悪の政治体制は、その末期に多くの不幸を一気に撒き散らすものです。ヨーロッパの政治形態が一応、民主政治で落ち着いたのは「啓蒙」によるところも大きいでしょうが、専制政治の破綻で多くの血を流し、その最終的な破綻が起こるにしても、民主政治なら悲劇的に一気にはこないという歴史的な大学習をしたからでしょう。ちなみに、日本の民主政治は「輸入品」です。自ら血を流して得たものではありません。故に世界に誇れるくらい「投票率」が低い…。
   
とはいえ、効率的な専制政治があったとしても、この日本では断然「民主政治」の方が良いのです。日本は不思議な事に、「絶対的なヒーロー」というのものを好みません。むしろ、「判官贔屓」です。その意味で「専制(独裁)」を嫌います。日本に現れかけた怪物支配者は織田信長くらいでしょう。皇帝と天皇は全く違うものです。天皇をEmperorと訳すのは大間違いです。「倭の五王の時代」はいざ知らず、日本の歴史で「天皇親政」というのは建武の新政の極一時期だけでしょう。日本はヨーロッパなどと違って、常に政治的変遷が緩やかであったと思います。急激な変化を嫌う国民性なのでしょうか。その割には一気に「軍国主義」へ、「戦後民主主義」へと手の平を返したように激変しているじゃないかと言われるかもしれませんが、これって政治体制だけから見ると根本的な「国の形」はあまり変わっていないに等しいと考えます。時代の気分が替わっているだけで。戦後の民主主義を「敗戦国の優等生」といわれるくらいスムーズに受け入れられたのは、実は以前とあまり変わりないからでしょう。レジームチェンジは行われていないという事です。まあ、この辺は異論反論、多々あるでしょうね。不謹慎ながら、だから、ものを調べて、色々な視点で考えるのが楽しいのですけど。
     
歴史とはいうのは非常に魅力あふれる興味(勉強?)対象です。が、常に為政者によって作られているといっても、過言ではありません。しかし主役は民衆(People,Citizen)です。専制政治だろうが民主政治だろうが、つまりは最適なリーダーをその民衆が選ぶだけとも考えられます。支持を失えば、遅かれ早かれ(多くの場合、流血を伴って)倒れます。いずれにしても「国民の命が高価な」民主主義の方が流れる血の量も少なくて済む(無血もある)訳ですから、その民主政治のたった一つ良い所が一番の取柄だと思います。最後に、以前、官公庁で選挙の仕事に関わった時、選挙について調べていたら、誰の言葉か忘れましたけど興味深いフレーズを目にしました。曰く、「民主主義ではその国の民度(国民のレベル)以上の政治家を選ぶことはできない」。国民が選挙しますからね。お後が宜しいようで、ってな言葉です。

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