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社会・政治 その7「支配者の理論が支配者を滅ぼす皮肉 朱子学」


本 本来は「人文・思想」のジャンルに入れるべきテーマだと思いますが、イデオロギーとして実際に社会、特に日本をド派手に動かした事から、こちらのジャンルに入れたいと思います。朱子学(朱熹学)と聞けば、すぐに思いつくのは「日本の江戸期、武士としての基本教養とされていた」という事ですが、それがやがてこの日本では、かなり強烈なイデオロギーへと変貌していきます。朱子学の中核を成すのは中国の一般教養であった儒学ですけど、儒学がいわば「処世訓」のようになっていた(宋代の当時)のに比べ、その各流派に分裂(分散)していた儒学を、体系だった理論として束ね上げたのが朱子学です。儒学(儒教)の祖である孔子の時代は戦国の世で、血で血を洗うような群雄割拠の世の中で君子たる者の「礼節」「儀礼」を説くのは「世の秩序回復」にとって、非常に意義のある事だったでしょう

が、宋(南宋)代は異民族に漢族が押され、南宋も国力を失い、東北部には契丹族の遼が力を持ち、沿海州から中国朝鮮国には女真人が金を建国し、つまりは中華である宋にあっても「処世訓」のようなものは既に役に立たない「裏切り」や「陰謀」の時代となり、「正義」といった価値観は無かったに等しいという時代背景があります。南宋の武将、尽忠報国(じんちゅうほうこく)で有名な岳飛(がくひ)も孤軍奮闘虚しく南宋の宰相、秦檜(しんかい)の謀略で命を失います。話が脱線しますが、岳飛は「中国史上No.1の愛国者」であり、秦檜は国民的(?)悪役として、今も岳飛廟(岳飛を祀った霊廟)には秦檜とその妻が手足を縛られて柵に閉じ込められた像があるそうです(実際に獄につながれたことはないようですけど)。
     
話を元に戻します。そうした中国(宋代)の時代背景の中で一人の秀才が生まれます。朱熹(しゅき:1130年~1200年)です。後に朱子ともいわれますが、わずか19歳で科挙(超難関の官吏登用試験。競争率数千倍)に合格した秀才中の秀才です。しかし、四年余りで退官し、学問の道に進みます。朱熹はそれまでバラバラに分散して、矛盾に陥っていた儒教の学説を再構築します。朱子の考えた理論の中核に「性即理」がありますが、超簡単に言ってしまえば、人間の「性(生まれ持った普遍的な特性)」は「理」であるという事です。「理」は今でいう「理性」と考えても間違いではないと思います。そして「性」とは本来的に静かな心の状態である訳ですが、そこには「情」があり、これが動く事によって「欲」が生まれ、そうなると「性」は「悪」となるため、その性をコントロールして「静かな状態」を保つことが必要であるとしています。そして、その制御された性にのみ「理(究極的な知識へと向かう)」を認める、という考えです。この辺は「解釈の問題」ですから、正確に学びたいと思われたら朱子にドップリとハマってください。
   
そして、もう一つに「理気二元論」があります。この「気」とは万物を構成する要素であり、常に動き続けるもので、この「気」が「性」を動かし、不安定にしますが、そこに秩序を与えるのが「理」であるという考えです。この「理」と「気」は不可分であり、単独では成立しないものとしています。つまり、互いにバランスを取り合いながら、角逐しているという、不謹慎ながら、何だか「鶏が先か、卵が先か」のような世界です。そこに、「陰陽」とか「五行(木、火、土、金、水)」とかの概念が絡んできますから、本格的に理解しようとすれば地道なパズル状態に耐えなければなりません。茶化そうとしている訳ではありませんが、ここでは朱子学の理論の根本にこのような考えがあるという事で概観できればよいかと思います。いずれにしても哲学ですから、完全な理解を「数学」のように求められるものではありません。

関心があるのは、この朱子学が後の「明代」「清代」を経て、また日本の鎌倉後期に入ってきて、次第に具体的な「礼」や「道徳」、もしくは「正義の体系」として受け入れられていくという事です。中国での事は省いて、朱子学は日本で、支配者階級のインテリゲンチャ(知識層)に宗教といってもよい位の信奉をもたらしたようです。その中心となった思想は前述の「正義の体系」、つまり正義と悪とを絶対的に二分したものです。極めて観念的ではあっても、「正当な支配者は正義」「それに反抗する者は悪」「悪は滅ぼせ」「支配者への忠誠は絶対の正義である」と、誠に恐ろしいほどシンプルに「支配者の論」を唱えています。
  
ここで着目すべきは、前述の「正当な支配者は正義」という所の「正当な」です。これが「大義名分」であり、朱子学の本領発揮です。建武の新政を行った後醍醐天皇と楠正成はまさにこの原理に則って鎌倉幕府を滅ぼしたと思えます。「正当な支配者は朝廷」というのが、武家政権を吹き飛ばす強烈な論拠となった訳です。しかし、この「正当な」という大義名分は如何様にも書き代える事ができる万能の「御旗」です。いったんそれを掲げれば無敵の正義です。そして、全てを支配できる、「支配者の理論」となります。

江戸幕府はこの朱子学を正学(唯一正しい学問で、それ以外は異学)としました。徳川幕府が正当である根拠は「朝廷よりの委託」であるとすれば大義の御旗が上がる訳です。そして、忠誠という正義を押し付けて支配する。朱子が願っていたかどうかは分かりませんが、見事に支配者にとって都合の良い学問となり、その意味では「秩序」をもたらしたと言えるのでしょう。余談ですが、この大義名分による徳川幕府の「正当の根拠」があったから、あの幕末の超ウルトラC政治劇である「大政奉還」が可能だった訳です。「預かっていたものを返す」という事で。
    
ここから朱子学の「大義名分論」が劇薬に変わっていきます。「正当」や「正邪」を突き詰めて行けば、それは、司馬遼太郎の言葉を借りれば、「大義名分論を語りはじめれば、剃刀のような薄刃を研ぎに研いで、自らも傷つけ、他を傷つけたりもするイデオロギーとなる(確か、このような表現…)」という事です。「正義」を研ぎに研いで、剃刀の如く薄い刃を磨き上げれば、その刃の上に乗るもの以外は全て「悪」となります。つまり、「正義」はその薄い刃の上でしか成立しなくなる。実際、朱子学を突き詰めた「水戸学」では、純化すればするほど、国の「正当な支配者」は朝廷となり、藩が佐幕と勤皇(有名な天狗党)に分かれ血みどろの抗争を続け、明治維新までには有能な人材を全て失ってしまったという皮肉な結果に終わっています。幕府が「支配の根拠」として正学とした朱子学が「尊王」という正義を生み出し、自らが滅ぼされたといっても過言ではありません。

ついには、「錦の御旗(本物は誰も知らない…)」まで上げられて、「賊」とされてしまいました。このイデオロギーは昭和の時代までその刃を研ぎ続けます。「天皇は絶対」、その君側の奸を除くことは正義であり、絶対的な忠義。こうなります。それで二・二六事件が起こり、日本はあの無謀な戦争に突っ込んでいくエンジンを自ら抱えてしまいます。そうなったら、止まる事など無理。恐らくは「正気であった日本人」もたくさんいたと思いますが、いったん湧き上がった揮発性の高いイデオロギーは「分かっていても」止める事は不可能で、自らもズタズタに傷つけてしまいます。これは歴史の事実。

最後に余談中の余談ですが、この朱子学的イデオロギーの種子は、戦後になっても社会の中にまだ残っています。色々と形を変えて、色々な所に。例えば、会社にお勤めの方、何となくそんな気がしませんか?

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