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社会・政治 その8「知行合一は革命思想か? 陽明学」


本 「社会・政治その7」で、本来は人文・思想のジャンルに入れるべきと思いつつ、朱子学の事をこのジャンルに書きましたが、その流れでやはり陽明学に触れなければどうも落ち着きません。この陽明学は朱子学から派生しています。その中心的な考えは同根で、この両者はまさにその思弁性(新解さん曰く:実証、経験によらず、頭の中だけで論理的に自分の考えを組み立てる事)において「ドイツ観念哲学」の向こうを張る、「中国観念哲学」と呼びたくなります。「ドイツ観念哲学」が、「神」「絶対者」と切り離された「自己」を再統合する試みにより、結果的に近代思想を形成するのに貢献したのに比べ、こちら「中国観念哲学」は、我が国においてド派手に社会を揺さぶるイデオロギーとして先鋭化しています。その意味ではちょっと違うのですが、大きく見れば近代への扉を開いたという点で歴史的意義は同等であると思います。陽明学は中国の明代に王陽明がおこした儒教の一派といえば簡単な説明になりすが、その前には朱子学という「巨人」が存在していたのです。王陽明も最初は朱子学の徒であったのですが、次第にそこから離れて行きます。
  
王陽明が朱子学から離れて行ったのは多分に批判的、懐疑的な理由からですが、その一番大きなものは、朱子学が「性即理」として、この「性」は人の心として「情」とに分別され、「性」を純粋な善性とし、「情」とは心の動きとして、これが大きくなる事により、ついには「欲」へと至るものであると考え、「性」は「悪(善ではない)」となるとしました。その「性」をコントロールして静かな状態を保った所にのみ「理」を認めると考えましたが、王陽明はそこに疑義を感じ、「心即理」、即ち、「性と情、合わせた心そのものが理に他ならない」と考え、つまりは、朱子学の「理」が外からも補完されるものであることに批判的であった訳です。その意味では朱子学同様、孟子の「性善説」を継承するという点には変わりないのですが、陽明学では朱子学のように外的な「理」を必要としないという事で、それが結果的には「外的権威」を否定するような考えに至ってしまったようです。余談ですが、前述したようにこの朱子学と陽明学が「天と人」を分離していた古典的な考えから「天と人」とを「理」でもって再統合しようとしたことが、ドイツ観念哲学の試みとよく似ているように感じます。
  
朱子学も陽明学も、つまりは「善、正義」なるものを明確にしようとしていることには変わりないのですが、人が生まれ持った「理=善」を朱子学では外部からの範(学習)の形で求めたのに対して、陽明学では「既にその心の中にある」と考えた訳です。それが「致良知」で、陽明学ではこれを根本的な指針としています。「良知」とは万人が(貴賤に関わらず)生まれ持った「道徳知」であり、これに従う行動は「善」とされます。分かりやすく言えば「己の信念に基づいた行動に善も悪も無い(是非もない)」という考えで、ちょっと危ういものを含んでいます。下手をしたら「独善」という事態も引き起こす訳で…。しかし、陽明学では「良知」に基づく行動は何物にも縛られないとしています。これまた余談ですが、なんとなく王陽明さんて、良い人のような気がします。良すぎるというか…。非難覚悟でいえば、旧弊の儒教を再統合し、新たな「善、正義」の価値体系を統合した朱子に対してさえも「まだ、古い規範にしがみついているではないか!」といったような感じで、「もっと、自由でいいのだ!」と言い切っちゃったような…。
     
そうした陽明学の大看板が「知行合一(ちこうごういつ)」です。ここでの「知」とは良知、「行」とは実践の事です。簡単に言えば「知る事と行う事は不可分である」。これがこのテーマのメインイベントです。この考えのもとに行動を起こした、日本の歴史上のもっとも有名な事件は「大塩平八郎の乱」です。大塩平八郎は大坂(一般的に明治期までは大阪ではなく大坂)町奉行所の与力、つまり幕臣です。その平八郎が1837年、幕府に対して反乱を起こします。時代背景としては天保の大飢饉で各地に百姓一揆が頻発していました。大坂でも米が不足し、奉行所に(この時、平八郎は隠居の身です)民衆の救済を求めますが、拒否され、自らの蔵書を売って民衆を救済したという話は有名です。が、幕府はそれと逆で民衆の救済には無関心、豪商は米を買い占めて利を求めます。それに憤った、大塩平八郎は家族、家財を始末し、大砲や爆薬を整え(大塩平八郎は火薬の専門知識を持っていた)豪商や幕府に対して天誅を加えようとしますが、奮戦虚しく鎮圧されてしまいます。大塩平八郎は火薬を使って自決します。この大塩平八郎は陽明学者であり、幕末の河井継之助、吉田松陰、西郷隆盛らは陽明学の影響をうけていたらしく、近い所ではあの三島由紀夫もそうであったようです。そうした人物像を見ると、「陽明学の知行合一」とは「革命思想なのか!?」と思えてきます。
      
答えから先に言えば「そうではない(と私は考えます)」です。確かに陽明学は大塩平八郎や幕末の志士たち、志ある者たちの行動に影響は与えていると思いますが、これは「知行合一」が極めて実践的な思想であるとの解釈から生まれた誤解といっても良いかと思います。知行合一とは、王陽明の言葉にあるように「知は行の始めにして、行は知の成なり」という主張であって、確かに「知は行によって実現する」という考えですが「思って行わざるは匹夫なり!」と(けしかけるように)言っている訳ではありません。確かに「良知」によって行いは道徳的となり、「知」と「行」とが分離するとしたら、その原因は「私欲」にあるとしていますが、それは朱子学が「知先行後」として「知」が先にあり、「行」が後になると教えていることへの、疑義、批判からだと考えます。それほどラディカル(過激)な事を言っている訳ではありません。事実、陽明学の登場が朱子学の時ほどドラスティック(強烈)ではなく、世のあらゆる方面に影響を与えたというより、「善悪、正義」といった倫理的側面での論理展開であり、時代を覆すようなパワーは無かったと考えるのが妥当です。

ただ、河井継之助の場合、それまでの朱子学には無い「知行合一」という思想に影響され、それが彼の「藩財政立て直し」「幕末時の武装中立」という行動に影響したのは確かだろうと思いますが、それは、いわゆる「革命行動」ではなく、「己の信念による行動」です。大塩平八郎の場合も「武力行動」はしてはいますが、それは已むに已まれない行動であったと考えられます。事実、大坂を火の海にする事はせず、自重しています。知行合一はあくまでも「あるべき行動規範」と捉えるべきでしょう。余談ですが、それより日本では朱子学のほうが、時代の空気を灼熱の如く煽って、明治維新という革命のエンジンになったのは、まさに皮肉というべきです。

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