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その他 その10「ストイシズムが生み出す芸術的肉体 ボクシング」


本 「ストイシズム」という言葉の意味を愛用の新解さんで「ストイック(Stoic)」という言葉で見てみると、「ストア派の(学徒)、禁欲的で、感情に動かされず、苦楽を超越・する様子(した人)」とあります。ストア派という事であれば「ストイシズム(Stoicism)」とは「理想主義」であり、「感情に左右されず、ありのままに現実を受け入れて行動することを希求する考え」という事で、一般的にストイシズムと言えば「禁欲主義」となるでしょう。いきなり初っ端から重い書き出しになりましたが、別にソクラテス(ストア派の理想としてソクラテスの最期があるようです)の事を書こうと思っている訳ではありません。ボクシングです。あの、重量級であれば通常の人間の「命」を持っていく事ができるパンチを繰り出す格闘技です。

私は格闘技ファンではありません。しかし、ボクシングだけは別次元の格闘スポーツとして、見ていると熱くなるのです。あの鍛え上げられた芸術品のような肉体で、神業のようなテクニックを駆使するボクサーたち…。別に、全てのボクサーがストイックであり、ソクラテスのごとく現実と対峙しているとは思っていません。大半はもともとがストリートファイター(喧嘩が強い連中)でしょうから(失礼)。しかし、全てのスポーツ選手は同じと思いますが、あのボクサーの肉体とファイト(闘い)には、神々しささえ感じるのです。
  
そもそもボクシングの起源を考えれば、それは誠に原始的な「殴り合い」からでしょう。事実、紀元前4,000年頃の古代エジプトの象形文字からも、軍隊で何某かの「拳で戦う技」の記録が見て取れるようですし、紀元前3,000年頃のエーゲ文明の遺跡からは「殴りあっている人」の姿が描かれている壺が発見されています。また、紀元前1,600年頃の古代ギリシャでは手に何か(皮?)を付けて殴りあっている少年たちの姿がフレスコ画に残っています。紀元前400年頃の、屈強な体を持つ人が手に皮のようなものを巻き付けている彫像が、ローマ国立博物館に残っています。これはどう見ても「ボクサー」でしょう。Wikipediaによれば、ボクシングの発祥国は古代ギリシャになっており、発生年・創始者ともに不詳となっています。要するに、人が2本足で立ってからそのベアナックル(素手)で戦ったのがボクシングの原型であり、あらゆる格闘技のご先祖様でしょう。まさに最もシンプルな格闘技術です。それから遥かな時間を経て、近代スポーツのボクシングに進化し、最も原始的な戦いが最も高度な技を駆使する格闘技、ボクシング、そしてボクサーの肉体を生み出したという事です(他の格闘技ファンの方、これは個人の好みですのでご容赦)。
   
ボクシングの起源を離れて、その名称(BOX)の由来も置いといて、近代ボクシングを眺めると、17世紀にはロンドンにボクシング・アカデミーなるものがあったそうですが、その当時のボクシングはベアナックル(素手)での戦いで、殆ど「パンクラチオン(ボクシング+レスリング、投げ、締め、蹴り等OKの喧嘩格闘技)」であったようで、それは敗者が死んでしまうような試合になります。やはり近代ボクシングの成立は、1904年、第3回オリンピックのセントルイス大会で競技種目となった時点とするのが妥当でしょう。とは言え、プロボクシングに関してはラウンド数もその都度の契約で決まり、要は興行で、ちゃんとした世界的なコミッション組織があった訳ではないようです。その流れは今にも残っており、プロボクシングそのものを統括する組織は無く、王座を認定する組織がいくつかあり、現在でその代表的なものが「WBA」「WBC」「IBF」「WBO」です。日本のタイトルは「JBC(日本ボクシングコミッション)」が認定しています。他にも「WBF」とか「WBU」とか、覚えきれないほどありますが、前述の4団体のタイトル認定が一般には世界王座(チャンピオン)として認識されます。ボクシングにサッカーのようなFIFA的組織は無く、プロレスのように前近代的な(失礼)興行の性格が強いプロスポーツです。
     
プロボクシング人気は昭和30年代くらいから、50年代の具志堅用高の活躍までは高かったと記憶しています。特にフライ級、バンタム級は「日本人のための階級」と言われるくらい、多くのチャンピオンを輩出しましたが、その後、しばらくチャンピオン不在の時期が続き、一時期は「世界戦」でもテレビで放映されない時期がありました。やはり、日本が経済的に豊かになり、「ハングリー精神」の喪失とともにプロボクシングは廃れて行ったかのように見えたものです。そりゃそうでしょうね。「3K(キツイ、キタナイ、カッコワルイ)」なんて言葉が喧伝され、プロボクシングなんてその代表のような感すらありましたから。しかし、一ファンに言わせればまさに寂しい限りで、カミソリパンチの海老原(自らのパンチの強烈さで拳を骨折)や同世代のファイティング原田、1973年に交通事故死してしまった天才大場(現役チャンピオンのまま死亡)、ガッツ石松、輪島、今思い出しても血が騒ぐボクサーたちを思い出します…。

ところが、ここにきてプロボクサーの現状は、半世紀前には200名程度の登録者が、今では3000名まで増えているようです。正直、プロボクシングで食っていけるのは世界チャンピオンだけ。4回戦などは1試合数万円のファイトマネーです。日本チャンピオンでさえ、アルバイトか何か他の仕事をしなければ食べていけません。ひたすら芸術品の如き体を鍛え上げ、減量にも苦しみ、技を磨き、痛い思いをして、血を流し、顔を腫らせて闘い、それで数万円の報酬…。確かに、敬遠される要素は他のプロスポーツの比ではないでしょう。しかし、過日、東日本の新人王戦をCATVで楽しんでいましたが、何と何と、素晴らしい選手がたくさんいるではないですか!「日本ボクシング、復活か!」と、テレビの前で大はしゃぎしながら観戦していました。ホント、CATVを契約して良かったとマジに思いました。
    
相変わらずプロボクシングでは稼ぐことが難しい。しかし、亀田兄弟や内山、三浦、井岡など、見事なプロボクサーがタイトルを取っています。個人的には亀田兄弟の三男、和毅、三浦、井岡のボクシングは素晴らしい。どうして、今、プロボクサーを目指す人たちが増えているのでしょうか? あるジムの人の言葉ですが、今のプロボクサーを目指している人たちはお金を稼ぐことよりも「ボクシングが好きで、それを通じて自分を成長させようとする人が多い」とか…。日本の若い世代もまんざらではないと思ってしまいます。「金だけではない」。言うは易し、行うは難し。ひたすら「ストイック」に体を鍛え上げ、鋭い拳に一瞬のチャンスを逃さずに殺気を込め、リングの上では、ホンの少しの「力の差」が残酷な敗者を生み出します。片や称賛を浴び、片や血だらけでマットに這いつくばる…。そして、その殆どが金銭的には恵まれない…。

しかし、しかし、しかしです、(個人的には)これほど美しいと感じるプロスポーツはないのです。ナックルだけを武器にしての、誠に原始的な闘いが、人間にこれほどの神技を与えるのです。妙な言い方ですが、プロボクシングを見ていると「人間が好き」になります。苦痛に耐えて、それでも一瞬のチャンスを狙って拳を構える。よく、ガッツ石松の右フック(確かフックだと…)を「幻の右」という人がいますが、ボクサーのパンチにラッキーパンチが皆無とは言えませんけど、私個人は「マグレのKOパンチなんかない」と思っています。何故なら、確実に相手を捉え、倒している訳ですから。相手もプロです。半端なパンチでは倒れません。東日本新人王戦のスーパーフライ級だったか(記憶が曖昧、ご容赦)、かつて顎の骨を折られた相手との勝負で、今度はその相手の顎を折った(あれは間違いなく、折れていると思っています)クオーターからのアッパー(スマッシュ)一発でのKO。残酷なその技は、あのストイックで芸術的な肉体から生まれる神技なのです。

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