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その他 その19「雑学 落ち着きのない疑問と好奇心の不規則運動」


本 本サイト名に「雑学」を掲げながら、その中で「雑学」をテーマにするのは「猿のラッキョ剥き」というか、「お手盛りドンブリ」というか(ナンノコッチャ)…。ただ、よくよく考えてみれば、「雑学」という言葉は事実としてありますが、その定義といえば「雑」で…。その雑多さを持って成り立つ「雑学」と似て(似てないか…)非なる言葉に「博学」という言葉がありますが、こちらは広く様々な「学問」に通じていることで、まさに「博学多才の士」。「雑学多才」という言葉はありません。また、「博識」という言葉もありますが「雑識」という言葉もありません。わが国で「博学多才の士」といえば、「社会・政治その2」で書いた南方熊楠でしょう。熊楠といえば菌類、特に「粘菌」の研究で有名ですが、彼の博学ぶりはそこにとどまらず「博物学」「民俗学」等々、18もの言語を解し、「歩く百科事典」と称された学者です。では「雑学」とは出来損ないの「似非博学」であるのでしょうか。否、であると思います。「博」とは「学問」世界の表現であり、「雑」とは身の回りの「疑問、好奇心」の世界にあるものです。両者に違いがあるとすれば、それで「飯」が食えるか、喰えないかであると思います。「雑学」でも喰えることはありますが…。
     
で、南方熊楠まで引っ張り出してウニャウニャとした前置きになってしまいましたが、本テーマを書こうと思った動機は、この「雑学」なるものを「無駄」とか「意味のない」「役に立たない」知識であるとの評が目についたからです。別に憤りではありませんけど、おそらくTV番組の「トリビアの泉」の影響が大きいのだと思います。トリビアとは「Trivia:雑学、些末な」という意味のようで、その中で視聴者から寄せられた「知っていても人生の役に立たない、でも、知っていたら楽しい」というトリビアを紹介するという番組です。私はあまり見ませんでしたが、面白い事は面白い。

しかし、「雑学」というものを一時的な流行り廃りのあるものにしているような気がして、ちょっと斜めに見ていました。しかも、如何にもこれが「雑学」であるような表現にも違和感がありました。「雑学」とは「知っていても人生の役に立たない知識」ではないのです。「雑学」の根本には日常で誰もが感じ得る「疑問」「好奇心」があると考えています。そしてそれが何かの拍子に結びつき、意外と面白い「考え(=アイデア)」が生まれてくることもあります。「雑学」は「人生の役に立つ」のです。それどころか、「人生を豊か」にしてくれます。いえ、「豊かにしてくれる」どころか、学問とは異なる分野で、多くの人が持つ「想像力、創造力」を育んでいるのが雑学です。
     
例えば、こんな経験はないでしょうか。人と話をしていて、大いに興がのり、話があちこちに行って、最期には「何の話からこんな話になったんだっけ?」となる事。普段何気なく交わす人の話にはもともと「冗長性」が備わっているのです。「冗長性」とは「余分や重複があること」、新解さんによれば「無くもがなの物事がだらだらと続く様子」とややネガティブな表現で書いてあり、その反意は「簡潔」。この冗長性、情報システムの分野では、障害に備えて機材や回線などを複数用意して、障害発生時に対応させるという意味で使われたりします。分かりやすい例としては、停電に備えての電気の送電線です。それは置いといて、「学問」というものにはこの「冗長性」が認められません。しかし、学問と言えども最初から何かが分かっていた訳ではなく、その過程は色々な説やアイディアで成り立っています。例えばマクロな「天文学」やミクロな「量子学」などは、それこそ「神」なるものの存在、「哲学」、そして「観察による推論」など、おおよそ人智の至るあらゆる「発想・考え」から次第にその姿が見えてきます。

つまり、そこに「冗長性」が無ければ、どこかで考えは止まってしまいます。「これでダメなら、あれで…」との試行錯誤、思考実験の中で元になるアイディアが生まれてきます。それが体系だって「簡潔」になるまでには様々な「?????」の連続です。結果として得られたものが「学問」であり、その途中にある様々な物事の絡み合いに必要なのが「雑学」なのです。その学問を更に進めていく力も「雑学」にあります。文学などはその「作品」を創作する人の考えに「冗長性」が無ければ生まれてきません。皆が全てを「簡潔」に理解しているのであれば、ワクワクするようなストーリーやどんでん返しは生まれず、全てが予測可能な予定調和で終わってしまいます。「雑学」と「学問」の違いは、その「整理の仕方」「体系」に「冗長性」が大きいかどうかです。
     
故に、僭越ながら、私は「雑学」を、「落ち着きのない疑問と好奇心の不規則運動」であると表現します。子供から大人まで、身の回りには疑問の対象が数えきれないくらいあります。「蛍光灯は何故光るのか?」「テレビが映るのはどうしてか?」「幽霊はいるのか?」「宇宙の果てはどうなっているのか?」「どうして自分がいるのか?」「生命はどうやって生まれたのか?」「ビッグバンて、本当にあったのか?」「どうして好きなものと嫌いなものがあるのか?」「なんで猫は猫で、犬は犬なのか?」「どうして人は死ぬのか?」「パソコンはどうやって動いているのか?」、と、これくらいにしておきますが、「???(疑問)」は身の回りにどれほど存在するか分かりません。それらに一切興味なし、という方もいらっしゃるでしょう。

しかし、多くの人には生まれつき、「好奇心」というものがその「脳」の中に埋め込まれているのです。いったん「???」が発生すれば、どうしてそうなのか、本当のところを知りたくてそれはウズウズと落ち着きなく騒ぎ出します。そして、「こうなのか、ああなのか」と不規則に動き始め、既存の「脈絡ある知識」から逸脱しています。時には、一見、全く関係ないような話と結びついてしまったりします。本サイトのインデックス・ページに書きましたが「雑学とは、知識の楽しい引き出し」なのです。ひとつの事を深く追及していくのも楽しいでしょう。しかし、その最中に必ずといってよいほど、ダッチロールの期間がある筈です。その最中にものをいうのが「雑学」です。

能書きだけではまさに冗長な文章になりますので、具体的な事例をひとつ。既存の学問であっても「雑学の宝庫」があるのです。それは「人類学」です。この領域ではどのようなアプローチでもOK。というより、様々なアプローチが無ければ成り立ちません。「歴史学」「比較文化学」「生物学」「遺伝学」「経済学」「解剖学」、なんせ対象が「人類」、つまり「人」ですから。「雑学」はまさに「乱読」「斜め読み」、なんでもOKの興味・疑問から生まれます。そのエンジンは「好奇心」です。「蛍光灯が光る原理」を知らなくたって生きてはいけます。しかし、疑問を覚えた時のソワソワ感は何とも落ち着きのないものです。せっかく「脳」を貰って生まれてきたのですから、「考える」事を楽しみましょう。テキトーでもいいんです。面白い世界はあちこち、どこにでも口を開けて待っています。

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