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その他 その2「研究対象としての超能力 人間の能力の可能性」


本 おそらく子供の頃に誰しもが一度は「超能力」なるものに憧れた事があると思います。もちろん、私も。テレパシー(遠隔通信、読心)、サイコキネキス(念動力)、クレアポヤンス(透視能力)、テレポテーション(瞬間移動)、プレコグニション(予知能力)等々。しかし、年齢を重ねて様々な事を知ると、そうしたものに少々懐疑的になって行きます。懐疑的となる事自体は「考え始める」ということであり、ごく自然な事だと思いますが、実証が難しいものは「否定」してしまうという安易な姿勢につながる事もあります。

私個人の見解を申し上げれば、この「超能力」なるものを否定も積極的な肯定もしません。別に研究者ではありませんから具体的な実証の行為(実験)をしている訳ではありませんので、結論などハナからありません。そのように言うと、超能力に対して消極的に見えるかもしれませんが、そうではなく、「あっても不思議ではない」と考えています。そもそも、人が想像することに是非もありません。古くはインドのヨガでいうところのクンダリニーやチャクラの概念、そしてシッディ(心霊力?)や、仏教での悟りの智慧より現れる「神通力」、道教における神仙思想、仙道、ヨーロッパに関してはイエスの行った様々な奇蹟。人が想像する事には「根も葉も」ある筈です。何もなければ、当たり前の事で、何も無い筈です。
   
一般に超能力と一括りにされているものには、区分があるらしく、20世紀になって創生された「超心理学(超能力を研究する学問領域)」では、通常の感覚器を超えた感覚をESP(Extra-sensory perception)、手を触れずに物を動かすサイコキネシス(Psychokinesis)の二つの区分に加え、その他の、瞬間移動(Teleportation)等に分けて研究されているようです。日本では古くは東大、現在では防衛大や明治大、東洋大などが研究の中心的な役割を果たしているそうです。また、アメリカやロシヤなどの先進国でも公的な機関で研究されていることはメディアを通じて広く知られているところです。ただ、この辺は「純粋学問」というよりキナ臭い「軍事」等の目的である感が強いですけど。かつてのナチスドイツも積極的にこの超能力を研究していた事は有名です。ナチス(ヒトラー)はオカルティズムにもかなり興味を示していたようで、映画「インディージョーンズ」でも題材として取り上げられています。
    
現実としてこれだけのダイナミックな動き(研究)が事実として行われている以上、超能力の存在を否定する方が難しいと考えます。ただ、ここで超能力を研究する「超心理学」の対象を確認すると、やはり行き着くところは「霊魂」などの宗教的なものへ寄って行くようです。私の個人的な考えですが、「霊魂」や「神」まで行ってしまうと風呂敷が広がりすぎて畳みきれなくなるのではないでしょうか。やはり、超能力は「人間そのものが生物として持つ能力の可能性」辺りで対象を絞っておく方が興味を持つとしても分かりやすいと思います。そもそもが「物が見えて考え」「類推することができて」「(結果は別にして)予測ができる」等の、実際に人間が持っている能力も考えてみれば、既に驚異的な能力です。例えば、アインシュタインの「E = mc2」はもっともシンプルで美しい数式だと思いますが、この「考え」より実際に自然界から膨大なエネルギーを引き出したのは、もうこれも「超能力」ではないでしょうか。

伝奇・伝承のようなものを省いて、その「超能力」を今現在の研究から見てみると、当然「マジック、トリック」との角逐があります。人の「科学的思考・科学的実証主義」が根付いているという事でしょう。マジシャン自体にも肯定派と否定派がいるようです。余談ですが、私はトリックがあろうと、それは間違いなく人間が考え出した事ですからマジックであろうと「凄い」能力であると思うのですけど…。もっとも、マジックはショーとして成立しますから、その能力は「お金」に変わらないと意味が無いと言う事で、純粋には生物的な「人間の能力」ということであれば、極めて現実的で実にチマッとしたものではありますが。
  
私は「科学」と「超能力」なるものが対立するとは思いません。懐疑主義や啓蒙主義は何に対してもある訳で。それよりも「人間の能力」というものを「生物的」なものから外れて考えれば、まず人間はテレパシーを手に入れています。「携帯電話」です。人の心までは読めませんが、テレパシーの本来的な意味である「遠方の(tele)」「感覚(pathy)」という事でいえば、地球上の主要都市であれば瞬時に意思の疎通が図れるテレパシーです。クレアポヤンス(透視能力)はX線(レントゲン)、サイコキネキス(念動力)はリモコン、テレポテーション(瞬間移動)は「瞬間」の解釈次第ですが、超高速の飛行機や列車、プレコグニション(予知能力)は天気予報…。まあ、天気予報はちょっと苦しいですが、科学の力で、かつては「超能力」とされたものを誰もが現実に手に入れる事が出来ています。個人的には、携帯電話を手に入れた時、「これはテレパシーじゃないか!」と思いました。単純ですけど…。
    
自ら本テーマの「話の腰を折ってしまった」ような気がしますので軌道修正します。「人間の能力」ということでいえば前述のように「超能力」に近いような力を様々に手に入れている現代人ですが、生身の人間が生物的に「どこまでの能力を手に入れる事が出来るのか、ということになれば、まずオリンピックの記録の歴史ですけど、100m走の記録はどこまで伸びるのでしょうか? 私が子供の頃は、「人間は生物的に100mを10秒以下で走るのは不可能」と言われていました。しかし、現実は違っていました。いずれにしても「大脳生理学」的に言って「人の能力の行き着く先」そのものが明確に限界を示されているでしょうか? 答えはNoでしょう。

人の能力を司る「脳」そのものが完全に解明されている訳ではありません。そこにどんな能力が隠されているのか、どんな「進化」の可能性を持っているのか、こればかりは誰にもわかりません。であれば「超能力」なるものがそこに潜んでいる可能性は「否定」する方が難しいでしょう。わが身のうちにあるものですから「超能力」はもっとも身近で、自由に遊べるテーマです。肯定・否定よりもまず、楽しみましょう。

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