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その他 その29「数学を情緒でとらえる知性 数学の詩人 岡潔」


本 岡潔(おか きよし:1901~1978)という名前を聞いても、「えっと…、聞いたことはあるような…」というのが正直なところです。彼は数学者です。理数系破綻者である私にとっては縁の薄い方ですが、過日、朝日新聞2016年5月23日朝刊の文芸欄を見た時、「数学の本質『論理ではなく情緒』」という見出しが目に留まり、記事を読むと「多変数複素関数論」という言葉がありました。これは雑学好きの私がどこかで会ったことのある言葉です。しかし、数学というものの面白さは知っているつもりですが、繰り返して言いますけど、理数系破綻者の私には数式を扱って物事を理解することはできません。数学というのは一つの言語体系でもあると考えています。数式を扱って考える人の頭の中に見えている景色というものはどのようなものであるのか、興味はあっても理解はできません。しかし、岡潔曰く、「数学の本体は『計算』や『論理』ではなく、情緒の働きだ」と。

「論理」であれば多少喰らいついていくことはできますが、「計算(数式)」では殆ど数学なるものに近づくことができなかった(しなかった)私にとって、この言葉には少なからず、驚きを覚えました。サイエンスは好きなジャンルですから、様々な学者の論や本は読みましたが、はっきりと「情緒」で数学をとらえると言い切った学者の言葉には、出会った記憶がありません。「情緒」なる言葉をいつもの新解さん(国語辞典)で見てみると「(正しくは”じょうしょ”)そのもの(場)に接したときに受ける、特有の情趣。(態度・行動にすぐ現れるかどうかの観点から見た)怒り・悲しみ・喜びなどの感情」とあります。新解さんにしては真面目な解説ですが、要するに「感情」です。そして、それを湧きあがらせるのは「感受性」です。

この岡潔の「情緒の働き」という言葉で、あることを思い出しました。例えば宇宙論や量子論を突き詰めていく学者たちのその多くが(確か7割くらいだったか…)、その先に「神の存在、大いなる意思の存在」を感じると答えていました。どこでそれを読んだかは忘れましたが、あのアインシュタインにも「神はダイスを振りたまわぬ」という言葉があります。そして「死ぬということは、モーツアルトが聞けなくなるということ」などの言葉もあります。何とも感受性の強い、情緒のある学者であると思います。量子論の世界など、唯物論者であれ唯心論者であれ、ぶっ飛びます。そこには「無から有が生まれ」「有が無となり」「『ゆらぎ』という予測不可能な働き」が起きています。しかし、学者たちはその本質に迫ろうとします。そこに「感じる力」がなければ、挫折さえできない世界が待っているでしょう。この「感受性」を「好奇心」と置き換えても同じだと思います。

で、岡潔の話に戻ります。生涯で公表した論文は10編。その10編の論文を束ねると、電話帳ほどの厚さになるそうです。その研究が源流となっている「複素解析空間論」は、いまや宇宙論など、高次元空間の理解が必要なすべての学問の基礎となっているとか。ご多分に漏れず、当初日本ではその理論を理解する者が少なく、その業績は海外で高く評価され、今日本で彼を再評価する機運が高まっているようです。余談ながら、岡潔の言葉に、数学教育について「計算の機械を作っているのではない」というものがありますが、それならさしづめ英語教育とは「翻訳機を作っている」ようなものでしょうか。グローバルとか言って。

岡潔は文学を好み、漱石や芭蕉などの作品を愛読していたそうです。「多変数複素関数論」の構築もインスピレーションを芸術から得たとか。マティスの展覧会を訪れ、その作品を見て「数学もこんなふうにやればよいのだ」と思ったそうです。仏教思想にも西洋思想にも詳しかったらしく、こうしたことだけを聞くと、高尚な趣味人のように思えますが、それは事実そうでしょうけど、その生き方に至ると、世間との接触を断ってまで、一人、命がけで数学に没頭し、その姿に「変人」とのレッテルを張られた人物です。彼の言葉に、原爆に関する「いったい30年足らずで何が分かるだろうか。わけもわからずに原爆を作って落としたに違いないので、落とした者でさえ何をやったかその意味が分かってはいまい」というものがありますが、相当に辛辣な言葉です。ですが、こうした言葉に、岡潔の「数学の本体は、情緒の働きだ」との真骨頂があるように感じます。

実際にはマンハッタン計画のオッペンハイマーも、原爆の開発をアメリカ大統領に進言したアインシュタインも、深い悔恨の情を抱えてその後を生きることになっています。まあ、確かに、投下の命令を下した政権末期のレームダック、トルーマン大統領がその後、どのように感じながら生きたのかは知りませんけど。岡潔の言葉は「計算」や「論理」に走って、それがもたらすものに対する「想像力」「感受性」「情緒」の欠如が、科学に対する「妄信」と「暴走」へと向かうことに警鐘を発しているのです。彼の「考えて、考えて、考えて、行き詰まり、そして考えて、考え抜く」という姿勢は、数学だけにとどまらぬ多様性のある世界観の中で培われたものでしょう。彼の言葉です。「コピーは紙とインキで作れるが、オリジナルは生命の燃焼によってしか作れない」。数式で語られる世界は、もしかしたら、文芸作品に心を震わせる時と同じ景色なのかもしれない、そう思えてきます。そこには、本居宣長の「大和心」、日本人独特の「あるがままに感じる心情」があるのかもしれません。

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