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その他 その33「哲学カフェ? 平成の新宿風月堂・銀巴里か?」


本 「哲学カフェ」なるものを知ったのは比較的最近なのですが、その発祥はフランスで、日本では2000年頃に始まり、それがあの「東日本大震災」以降に広まったようです。それまでの日常を根こそぎ奪い去った大災害で、「当たり前」が消し飛び、「物事を自らの力で考えたい」という気分が高まったのでしょうか。ですからこの「哲学カフェ」なるものは、これまでにもあった「取って付けた感」のある「勉強会」の様なものではなく、「考えること」のムーブメントであると感じています。もちろんテーマはあるようですが、そのことについて「皆で学ぶ」のではなく、「皆が個々に考える」というのが目的となる筈です。そうしたムーブメントが日本各地に広がってきているようです。

最初このテーマを書くのは「哲学」が絡む故に「人文・思想」の編で、と思いましたが、社会的なムーブメントであるなら「社会・政治」でしょう、けど、この「政治」とやらには馴染まないし、さて、と考えがグルグルとして、カテゴリーに悩むバカバカしさに思い至り、って特にエクスキューズするようなことでもないのは分かっているのですが、事実、どのあたりからアプローチしていいのか、最初は悩みました。で、このテーマは今の時代を生きる方々の想いが自然発生的に、各地で同時に起きたムーブメントであると捉え、それは「=既存のカテゴリーに収まらない」ことであり、まさにそうしたことを対象に考えてみるための編(のつもりです)である「その他」というジャンルに書くのが最適であると考えました。って、のっけから能書きが長いね…。

で、色々と考えているうちにあの「昭和」の時代を創った才能が集まり、その才能を醸成した(と思っています)、「新宿風月堂」と「銀巴里」のイメージが「哲学カフェ」とダブり始め、それは新しい時代の「知性・才能」を生み出すための「孵化器(インキュベーター:Incubator)」となり得るのでは、と思った次第です。「哲学カフェ」にはルールがあり、そこには進行役がいて、参加者の対話を促進するようです。また、「他の人の話をよく聞く」「自分の言葉で分かりやすく話す」「信条をおしつけない」「自分の考えは変わりうることを前提とする」などがあるようです。おそらく、かつての「新宿風月堂」や「銀巴里」ではそうしたことが自然発生的に形作られたのではないでしょうか。片や「昭和という時代」が、片や「平成という時代」が生み出した「思考=哲学の場」であるように思います。

ちなみに「新宿風月堂」とは、あの洋菓子の老舗とは全然別物で、戦後の1946年から1973年まで存在した名曲喫茶で、店主の膨大なクラシックレコードのコレクションを基に新宿東口、角筈1丁目(現在の新宿3丁目)にあったお店です。そこには若き日の岡本太郎、谷川俊太郎、野坂昭如、五木寛之、寺山修司、安藤忠雄、三枝成章、長沢節、白石和子、三國連太郎、ビートたけし、岸田今日子、唐十郎、など、そうそうたる顔ぶれが集まり、おそらくは、喧々諤々と自らの想いを議論しあう景色があったと思います。ですが、のちには全共闘等、学生運動のたまり場となり、話題は「文化」から生臭い(青臭い)「政治」へと移り、やがて閉店となったようです。しかし、戦後の焼け跡も生々しい中で、戦中は禁止されていた数々の音楽に身を浸して、まさに自由を体現した時期の「新宿風月堂」は、その後の昭和日本の文化を創り上げた「孵化器」であったと思います。

そして「銀巴里」ですが、こちらは銀座7丁目にあったシャンソン喫茶(1951年~1990年)で、ご存知の人も多いと思いますが、あの美輪明宏(当時は丸山明宏)が、妖艶なファッションを身にまとい、焼け跡の残る日本にシャンソンの調べを歌い上げる強烈な存在としてそのコアにありました。私は「新宿風月堂」も「銀巴里」も当然現役世代ではなく、資料でしか見たことはありませんが、そのマグマ溜まりのような才能の数々に思い切り憧れたものです。で、その「銀巴里」には、これまた、戸川昌子、クミコ、仲マサコ、金子由香利、戸山英二、大木康子、長谷川きよし、三島由紀夫、なかにし礼、吉行淳之介、寺山修司、中原淳一らが集っていたそうです。ここも、「新宿風月堂」同様、時代の生んだ、文化の「孵化器」。

で、話を「哲学カフェ」に戻します。特にあの東日本大震災以後のことに関して自分なりに考えるなら、このムーブメントは「死生観」がそのコアになっているのではないかと思うのです。日本では長く「病院死」が「在宅死」を上回り(また、日本のマスコミは戦後、「死」というものをなぜか視覚的に遠ざけてきた)、「死」というものが日常から離れ、「自分はなぜ生きているのか」などといった極めてプリミティブ(原始的で素朴)な問題について考えるキッカケを長く失っていたという事実が前提としてあり、それがあの大震災で、日常の中に「まさに戦争=命の否定」のごとき暴力的な「死」が舞い戻り、否応なく人を「考える」ことに駆り立てたのだと考えます。あの「新宿風月堂」「銀巴里」も戦争の焼け野原の中から生まれてきました。ちなみに、あの津波で跡形もなく街が流された光景を見て、かつての(写真で見た)東京の焼け野原の風景とそれが私の中で重なり合いました。他の多くの人もそうであったと思います。

これは私見ですが、「哲学」とは、その「答え」に意味があるのではなく、「考える、考え続ける」ことに意味と価値があるのだと考えます。一つの「答え」は、ある時代の中で「真」であったとしても、次の時代には180°ひっくり返るものかもしれません。時代という大きな力に翻弄されないためにも「考え続ける」ことが、個人個人を強く在らしめる「力」、実践的な「力」へとつながっていくのだと思います。以前にこのサイトの「人文・思想 その36」、「哲学を一言でいうなら 人の精神に連続性を持たせる力」なんて記事の中で、簡単な例として、「『社会問題である少子化問題のためには認可保育園を早急に整備しなければならない』と『社会人』としては考えますが、おうちのリビングにいる『個人』は、『家の近くに保育園ができると、うるさいし、調理の臭いが出そうだし、送迎の車で危ないし、それに我が家の資産価値が下がりそうだし…』」ということを書きました。つまり、「社会的人格」と「個人」という「二重人格」に人は簡単に陥ってしまう、ということです。ここには2つの「答え」が出てきて、あえて言うならそれはどちらも「正誤」なんて関係なく成り立ちますが、「考え続ける力」が無い中では平気で矛盾したまま2つの「答え」が併存し続けます。これは、かなり恐ろしいことで、あのナチスの中にも見受けられたことです。

かつての昭和の「戦後」、そして平成の「大震災後」という、「死」が日常の中で空気の如く身近で当たり前にある世界が見えてしまった時代に、「哲学」という「考える」ムーブメントが起きるのは時代の「必然」であるのでしょう。そう思えます。この「哲学カフェ」なるものが、かつての焼け野原に爆発的な力で様々なものを打ち建てたように、この平成の時代に多様な動きを見せてくれることを期待せざるを得ません。そこには「考える個人」がいる訳ですから、最も忌み嫌うべき「思考の停止」をそれが駆逐してくれる筈です。誠に歓迎すべきムーブメントであると思います。せめて、「新宿風月堂」とはいかないまでも、長い経済的繁栄がこの国にもたらした「無作為の滓」を浄化する力にはなってほしい。そこに一杯のコーヒーと、数冊の本があれば成り立つのですから。つまり、誰にでも実践可能なムーブメントが起こっていると感じているのです。おそらく、その結果としての現実的な変化は、いきなりやってくるのでは…。

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