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その他 その35「暗闇は創造力のスクリーン」


本 先日、朝日新聞朝刊の土曜版で「サザエさんをさがして」を読んでいると、面白い四コマ漫画が描かれていました。ちなみに、やはり私も昭和世代なのか、サザエさんほど年は取っていませんけど、何となく毎週土曜日のこの四コマ漫画を楽しみにしています。漫画に加えて当時の世相などが記事として書いてあります。そちらを読むことはあまりないのですけど、その日に掲載されていた四コマ漫画の面白さと、記事の見出しに興味をもちました。漫画は、カツオとワカメが夜道で、昔懐かし「ピンポンダッシュ」をしている様子が描かれています。「ピンポンダッシュ」って今でもあるのでしょうかね。子供の遊びで、よその家の玄関にあるブザーを押して、家の人が出てくるまでにダッシュして逃げる悪戯です。当時はインターフォンなんて殆ど無く、ブザーだけですからそれを押された家からは人が出てきます。その人に見つかる前にダッシュして逃げるスリルを楽しむのです。

それだけなら面白くもなんともない、昔の子供の悪戯遊びを描いてあるだけなのですが、オチは、カツオとワカメが暗い夜道を帰るのに、「夜道はこわいから」という事で、各家のブザーを鳴らして、家の人に出てきてもらう、というものです。この辺り、昔の街もそうですけど、家の中もあちこちが暗くて、トイレも今のような水洗ではなくドッポン式の暗い穴に向かって用を足しますから、子供にとって、夜のトイレというのは非常に怖いもので、家の人に一緒についてきてもらって、入り口に立っていてもらうといった経験がある方は多いと思います。このピンポンダッシュもそのような心理と同じでしょう。昔の夜道は住宅街でもそれほど街灯は無く、暗かったのです。懐中電灯は、夜の外出の必需品でした。

で、その四コマ漫画の横にある記事の見出しは「暗闇、こわい 『あらぬもの』見せるは心」。この四コマ漫画が掲載されたのは1956年(昭和31年)12月。オヤジの私ですが、まだ生まれていません。が、私の時代でも(田舎暮らしではありましたが)、夜になると外はもちろん、家の中にもあちこちに暗闇があり、今の住宅街の風景とは全然異なります。懐中電灯が無ければ足元が覚束ないような暗さなのです。余談ですがその代わり、満月の夜には影ができるほど薄明るく、満天の星を眺めることができました。とはいえやはり、夜は怖いものです。子供の頃、母親にくっ付いていつも寝ていましたけど、一人で寝るなんて怖くて絶対に嫌でした。が、親離れという事でもないのでしょうが、一人で寝る歳になると、布団の外の暗闇に、まさに「あらぬもの」の気配を毎晩感じて、怖い事この上ありませんでした。「何が?」って聞かれても、とにかく「怖いものの気配」としか答えられません。

皆さん、子供のころにご経験がありませんか? 布団の外の暗闇が恐くて、布団の中に潜り込むのですが、足なんて怖くて外には出せず、とにかく布団の中にくるまっていると安心するのです。布団が子供にとっての「結界(自分を守るための空間)」であったのでしょう。何とも非合理ですが、気持ち的には夜の暗闇の「あらぬもの」から布団が自分を守ってくれるという勝手なルールのようなものが子供にはあったのです。

記事の中に「闇への恐怖は根源的なもの」という大学教授の言葉がありました。まさに。昔の親が子供を躾ける(?)のに使った常套文句(多分)は、「押し入れに閉じ込めるよ!」です。子供は、真っ暗な押し入れに閉じ込められるのを心底怖がったのです。それで「良い子」に育ったかどうかはそれぞれでしょうけど、私は何度か閉じ込められて、その都度、泣きべそかきながら「ごめんなさい」と嘘でもなんでも謝る羽目に遭いました。今思えば、精神的な虐待(?)です。天井からはネズミの走る音や、そのネズミを狙って蛇(青大将)の這いずり回る音が聞こえてくるような時代の家の押し入れです。学者風に言えば「暗黒とは、死という意識の無い世界の象徴であり、死を恐れる人間が生理的に恐怖を覚える状態」なのでしょう。

しかし、暗闇に対する恐怖とはそれで収まるものではないのです。先にも述べた「あらぬもの」がウヨウヨとしている空間なのです。そこにある「何か」を感じてしまうことが恐怖の根源なのです。自分の心が暗闇という「スクリーン」に「怖ろしきもの」「あらざるもの」どもを浮かび上がらせているのです。それを、「霊」と呼ぼうが「鬼」と呼ぼうが「妖怪(あやかし)」と呼ぼうが、人は遥か昔からそうした事を話に残しているのです。記事の中に「今昔物語集」にそのような記述がたくさんあると書いてありましたが、他にもたくさん、人が闇の中に何かを感じることを書いた本はあります。現代人は「科学」の世紀に在り、合理的な精神で「暗闇」など怖れはしないのでしょうか? いえ、そんなことはありません。私の友人知人にはたくさん「怖がり」がいます。昼の墓場は「お参り」で歩けても、夜の墓場は歩けません。余談ですが、私は比較的平気で夜の墓場を歩けます。鈍いのでしょうか…。いえ、正直言って、散々怖いものを子供のころから見てきているので(錯覚だろうが何であろうが)、多少慣れてしまっているだけです。

他の記事でも何度か書いたことですけど、怖がりの子供は「創造力が強い」のだと思います。見えない何かを感じて、それを怖がる。大人が「何もいないよ」なんて言っても通用しないのです。その子供は、暗闇というスクリーンに有象無象の「何か」を感じているのです。

話が逸れるような気もしますが、構わずに行けば、人には例えば「戦争」や「自然災害」などへの現実的な恐怖心があると思いますが、それらは直接目にできるものであり、物理的な力を我々に見せつけます。これも当然怖い、というより「恐い」事ですが、「怖い・恐い」というものには本来「畏れ」という「この世に在らざるものに対する畏敬の念」がある筈で、それが神を生み出していると言えます。ただ単にキャーキャーと怖がって(恐がって)いるだけなら、ジェットコースターでもいいわけで(個人的に非常に恐い…。絶対に乗れない)、そうではなく、遥か昔から人は「暗闇のスクリーン」の上に「怖れ・恐れ」と同時に「畏れ」を感じてきた(共有してきた)のだと思います。もしそれが失われて、「畏れ」なるものが薄れてしまったとすれば、そこにあるのは共有できる「感情」ではなく、ただバラバラに湧き上がる個人の「怖れ・恐れ」で、そこに生まれるのは「不信」なのでしょう。これには、なんとも「創造力」など抜きで「恐怖」を感じます。

って、やっぱり話が最後の方で逸れたような気が…。スベッた?

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